片づけ事
血縁。今回は、お金のお話。
実父の死後、私も体調を崩して長かったり、愛犬くんが逝ってしまったり…。
なにかと気が回っておらず。
遺産問題を法的に処理することをしていませんでした。
(父方の実家に関する資産は、長男である父も含めて、何かあっても譲り受けない念書を叔父夫妻に預けてあるので。つい、それで済んだ気になっていた)
先日、債権回収機関から連絡があって、
「あ。そっちの(マイナスの)遺産があり得るんだった」と。
借金は、逃げても無くなったりはしないから。
私が下手に放棄すると、まわりまわって祖母のほうに行ってしまう場合もないとはいえない。
それは…嫌だなあ。
借金の素性を調べることにしました。
そのためには、
「私が彼の実子である」ことと、「彼が死亡したこと」とを、証明しなければならず。
まず、私の今住んでいる区の役所へ。
そこから、転入記録を追いかけて、前に住んでいた役所。
同じようにして、次、次、次…と。
自分の戸籍を追いかけて、都内区役所スタンプラリー。
・自分の戸籍謄本と、
・父と私が一緒に記載されている戸籍の附票と、
・父の、死亡記載がある戸籍謄本。
(本当は、もう一通。父の住民票の除票が必要だったのですが。当該区では、一緒の住所に住んでいる人間でないと請求できないそうで。私には取れなかった。自治体によって規定が違うという不思議を知りました。なぜ?)
いちいち足を運ぶのは、かなり大変でしたけれど。23区内だけだったので、ずいぶん助かったと思います。
父の生年月日や、死亡した区、日時を知ることができましたが。
…まあ、今まで知らなくて差しさわりなかったんだから。知ってもなんら変わりないか(苦笑)
それから、借金の性格などを調べました。
さいわい、この件は、保証人となっているだけだったうえ。借りたご本人氏は、返済を続けていらっしゃることが確認できました。
氏は、父を知る友人…?…なのかな。
30年近く、この借金をかかえて生きてらっしゃったと思うと…なんとも。
とはいえ、95歳の祖母に借金が飛び火することは無さそう。
今後、また別の何かが出てくることもあり得るとは、懸念しながらも。
財産放棄の申し立てを進めることにしました。
というわけで、
先だってかき集めた書類を手に、必要資料その他を電話とWEBで確かめてから、家庭裁判所へ。
……あのね。
どこの区役所の方たちも、法人、団体の方たちも、
テキパキ手を動かし、かつ親身な気遣いまでくださる、ふつうに「人」対「人」として応じてくださる方ばかりだった。
嫌な思いをしたことは、ありませんでした。
かーすーみーがーせーきーはー…
あくまで、私が触れた電話応対の方2名と、担当してくださった各所3名に限るのかもしれませんが、
まったく役に立たない(失礼ながら…)方と、
「向こうで説明しなかったんですかね。何やってるんだか。じゃあ、まあ、私がなんとかしときます」的な、別部署の案内不足をののしりつつ、恩着せがましく…
の、2パターン(複合型あり)
なんだ、これ…
身内を冷笑する、ののしることを、相手に聞かせるのって…、無いよ。
ふつう、身内のミスなら、代わって謝って、手配(カバー)をするものでしょ?
そして、そんないい加減なことでいいの…?
他では感じないほどの、感覚のズレを感じました。
こういう作業で、ずいぶん神経がすり減っていたのですけれど。
そういうときに、大阪の某ゲーセンの師匠たるご夫妻から、嬉しい予感の宅配便。
わあ。
大好きなナイトメア・ビフォア・クリスマスの懐中時計!<もちろんUFOキャッチャープライズ
これ、実は、私もアキバで見つけて、
店員さんに泣きつきながら、えらい散在しまくって(苦笑)
「ゼロのだけでも!」と獲得したんですが。
さすが、はるひご夫妻。3種類コンプリ+α!
ああ、もうすっごい嬉しい!
しかも、上様には、大阪の味の「ぼんち揚げ」と「満月ポン」が同梱で(笑)
上様:「でかした!」
大阪の味が嬉しかった。
お菓子のお味だけでなく、気にかけてくださる温かさとか。
嬉しい…。
あ。しかし、横浜の同僚からは、「ウォレスとグルーミット」シリーズの邪悪な羊…ショーン…の、ふかふかクッションが誕生日プレゼントに送られてきてました。
抱いてると、あっという間に睡魔にやられます。
疲れているのに、ホッとできなかったから。
とてもありがたいプレゼントです。
頑張るぞ、と思えます。
以前のように、やたらに背筋をはって、笑みだけ浮かべて体温を冷やしていくような…そんな真似は、しないで済んだ。
やなこと、気鬱なこともあるけれど、
良いこと、嬉しいことのほうが多くなってきたように思います。
というか、周りの「人」に恵まれたなあ、と実感する日々です。
助けられてます。
どっちにも恩人が居て足を向けて寝られないから、とりあえず、丸くなって寝ております。
恩返しできる自分になれるよう、ゆっくり頑張るね。
ぐう。
実父の死後、私も体調を崩して長かったり、愛犬くんが逝ってしまったり…。
なにかと気が回っておらず。
遺産問題を法的に処理することをしていませんでした。
(父方の実家に関する資産は、長男である父も含めて、何かあっても譲り受けない念書を叔父夫妻に預けてあるので。つい、それで済んだ気になっていた)
先日、債権回収機関から連絡があって、
「あ。そっちの(マイナスの)遺産があり得るんだった」と。
借金は、逃げても無くなったりはしないから。
私が下手に放棄すると、まわりまわって祖母のほうに行ってしまう場合もないとはいえない。
それは…嫌だなあ。
借金の素性を調べることにしました。
そのためには、
「私が彼の実子である」ことと、「彼が死亡したこと」とを、証明しなければならず。
まず、私の今住んでいる区の役所へ。
そこから、転入記録を追いかけて、前に住んでいた役所。
同じようにして、次、次、次…と。
自分の戸籍を追いかけて、都内区役所スタンプラリー。
・自分の戸籍謄本と、
・父と私が一緒に記載されている戸籍の附票と、
・父の、死亡記載がある戸籍謄本。
(本当は、もう一通。父の住民票の除票が必要だったのですが。当該区では、一緒の住所に住んでいる人間でないと請求できないそうで。私には取れなかった。自治体によって規定が違うという不思議を知りました。なぜ?)
いちいち足を運ぶのは、かなり大変でしたけれど。23区内だけだったので、ずいぶん助かったと思います。
父の生年月日や、死亡した区、日時を知ることができましたが。
…まあ、今まで知らなくて差しさわりなかったんだから。知ってもなんら変わりないか(苦笑)
それから、借金の性格などを調べました。
さいわい、この件は、保証人となっているだけだったうえ。借りたご本人氏は、返済を続けていらっしゃることが確認できました。
氏は、父を知る友人…?…なのかな。
30年近く、この借金をかかえて生きてらっしゃったと思うと…なんとも。
とはいえ、95歳の祖母に借金が飛び火することは無さそう。
今後、また別の何かが出てくることもあり得るとは、懸念しながらも。
財産放棄の申し立てを進めることにしました。
というわけで、
先だってかき集めた書類を手に、必要資料その他を電話とWEBで確かめてから、家庭裁判所へ。
……あのね。
どこの区役所の方たちも、法人、団体の方たちも、
テキパキ手を動かし、かつ親身な気遣いまでくださる、ふつうに「人」対「人」として応じてくださる方ばかりだった。
嫌な思いをしたことは、ありませんでした。
かーすーみーがーせーきーはー…
あくまで、私が触れた電話応対の方2名と、担当してくださった各所3名に限るのかもしれませんが、
まったく役に立たない(失礼ながら…)方と、
「向こうで説明しなかったんですかね。何やってるんだか。じゃあ、まあ、私がなんとかしときます」的な、別部署の案内不足をののしりつつ、恩着せがましく…
の、2パターン(複合型あり)
なんだ、これ…
身内を冷笑する、ののしることを、相手に聞かせるのって…、無いよ。
ふつう、身内のミスなら、代わって謝って、手配(カバー)をするものでしょ?
そして、そんないい加減なことでいいの…?
他では感じないほどの、感覚のズレを感じました。
こういう作業で、ずいぶん神経がすり減っていたのですけれど。
そういうときに、大阪の某ゲーセンの師匠たるご夫妻から、嬉しい予感の宅配便。
わあ。
大好きなナイトメア・ビフォア・クリスマスの懐中時計!<もちろんUFOキャッチャープライズ
これ、実は、私もアキバで見つけて、
店員さんに泣きつきながら、えらい散在しまくって(苦笑)
「ゼロのだけでも!」と獲得したんですが。
さすが、はるひご夫妻。3種類コンプリ+α!
ああ、もうすっごい嬉しい!
しかも、上様には、大阪の味の「ぼんち揚げ」と「満月ポン」が同梱で(笑)
上様:「でかした!」
大阪の味が嬉しかった。
お菓子のお味だけでなく、気にかけてくださる温かさとか。
嬉しい…。
あ。しかし、横浜の同僚からは、「ウォレスとグルーミット」シリーズの邪悪な羊…ショーン…の、ふかふかクッションが誕生日プレゼントに送られてきてました。
抱いてると、あっという間に睡魔にやられます。
疲れているのに、ホッとできなかったから。
とてもありがたいプレゼントです。
頑張るぞ、と思えます。
以前のように、やたらに背筋をはって、笑みだけ浮かべて体温を冷やしていくような…そんな真似は、しないで済んだ。
やなこと、気鬱なこともあるけれど、
良いこと、嬉しいことのほうが多くなってきたように思います。
というか、周りの「人」に恵まれたなあ、と実感する日々です。
助けられてます。
どっちにも恩人が居て足を向けて寝られないから、とりあえず、丸くなって寝ております。
恩返しできる自分になれるよう、ゆっくり頑張るね。
ぐう。
「2か月前」
「血縁」カテゴリの記事です。
あまり耳に心地よくはありませんから、どうぞ、飛ばしてくださいな。
昨日、実父方の家に行ってきました。
美容室に行きがてら、祖母の顔を見に。
やつれていた顔が、ふっくら丸くなっていて。
穏やかな話しぶり。
隣の家に住む義叔母が言うには、祖母は
「2か月で3キロ太った」
そうです。
「2か月」で、急に、ボケたらしいです。
食べても食べても、食べたことを忘れる。
ついこないだまで、食事の支度もぜんぶ自分でやっていたのが、今は、ほとんど義叔母任せ。
「2か月」前、
私は、父はを無縁仏にするという叔父に「お手間おかけします」と頭を下げるしかしなかった。
この家の仏壇には、今も祖父の位牌しか無い。
情の薄い私ですら、実父を亡くす一連で、かなり心を抉られ削がれました。
祖母は、彼の母親で…心配ゆえに愛も深かったらしい長男…
子に先立たれる、
その同じ自分の「愛する子」「父の弟」である叔父の手によって、墓すらともにさせてやれない、
…そういうのは、どんな痛みだったんだろう。
もう、95歳を超えた祖母。
傷を越えるとか、問題に立ち向かうとか…もう、しなくて、いいよ。
ずっと背をシャンとして、息子たちをそれぞれ守ろうとしてきたね、おばあちゃん。
私は、あなたに育てられて、そんなあなたの目を覚えている。どこかに受け継いでいるから。
父を守ろうとは思えなかったけれど。
大事なものを守ろうとするなら、どんな強さと覚悟と持久力を要するかは、あなたから学んだ。
頑固。頑な。
私は、守りたいものがあるとき、あなたと同じようなやり方で守ろうとする。
だから、もう…これ以上は、いい。
忘れて、いい。
いいよ、と。そう、思った。
傷を見ようとしないで、目をぼやけさせて。
傷がある事も、どうしてついた傷かも、ぜんぶ忘れて…笑っておきなよ、おばあちゃん。
私が玄関を出て行ったら、たぶんもう、さっきまで私が来てたことも忘れてしまう。
それでも、いいね。
会ってる時間、たくさん嬉しくて笑ってくれてたから。
悲しい、痛い、…そんなことより、もう…笑っておいで。
痴呆は、悲しくつらい問題だと思っていたのですが。
昨日の祖母の顔を見ていたら、それはそれで…いまの彼女にとっては、ひどく優しい…慈愛だなあと感じました。
(あくまで、今回の祖母については、です。)
守ってやれなくて、ごめんなさい…静枝さん。
彼が、あなたの最後の張りだったんですね。
こんなにも愛されて、父は幸せです。
95歳に比べたら、私はまだまだ若者。
だから、ちゃんと傷は治る。痕が残っても、立ち上がれる。戦える。
祖母の目を、私は、忘れないで生きたいな。
あまり耳に心地よくはありませんから、どうぞ、飛ばしてくださいな。
昨日、実父方の家に行ってきました。
美容室に行きがてら、祖母の顔を見に。
やつれていた顔が、ふっくら丸くなっていて。
穏やかな話しぶり。
隣の家に住む義叔母が言うには、祖母は
「2か月で3キロ太った」
そうです。
「2か月」で、急に、ボケたらしいです。
食べても食べても、食べたことを忘れる。
ついこないだまで、食事の支度もぜんぶ自分でやっていたのが、今は、ほとんど義叔母任せ。
「2か月」前、
私は、父はを無縁仏にするという叔父に「お手間おかけします」と頭を下げるしかしなかった。
この家の仏壇には、今も祖父の位牌しか無い。
情の薄い私ですら、実父を亡くす一連で、かなり心を抉られ削がれました。
祖母は、彼の母親で…心配ゆえに愛も深かったらしい長男…
子に先立たれる、
その同じ自分の「愛する子」「父の弟」である叔父の手によって、墓すらともにさせてやれない、
…そういうのは、どんな痛みだったんだろう。
もう、95歳を超えた祖母。
傷を越えるとか、問題に立ち向かうとか…もう、しなくて、いいよ。
ずっと背をシャンとして、息子たちをそれぞれ守ろうとしてきたね、おばあちゃん。
私は、あなたに育てられて、そんなあなたの目を覚えている。どこかに受け継いでいるから。
父を守ろうとは思えなかったけれど。
大事なものを守ろうとするなら、どんな強さと覚悟と持久力を要するかは、あなたから学んだ。
頑固。頑な。
私は、守りたいものがあるとき、あなたと同じようなやり方で守ろうとする。
だから、もう…これ以上は、いい。
忘れて、いい。
いいよ、と。そう、思った。
傷を見ようとしないで、目をぼやけさせて。
傷がある事も、どうしてついた傷かも、ぜんぶ忘れて…笑っておきなよ、おばあちゃん。
私が玄関を出て行ったら、たぶんもう、さっきまで私が来てたことも忘れてしまう。
それでも、いいね。
会ってる時間、たくさん嬉しくて笑ってくれてたから。
悲しい、痛い、…そんなことより、もう…笑っておいで。
痴呆は、悲しくつらい問題だと思っていたのですが。
昨日の祖母の顔を見ていたら、それはそれで…いまの彼女にとっては、ひどく優しい…慈愛だなあと感じました。
(あくまで、今回の祖母については、です。)
守ってやれなくて、ごめんなさい…静枝さん。
彼が、あなたの最後の張りだったんですね。
こんなにも愛されて、父は幸せです。
95歳に比べたら、私はまだまだ若者。
だから、ちゃんと傷は治る。痕が残っても、立ち上がれる。戦える。
祖母の目を、私は、忘れないで生きたいな。
父と義父
ふと数えたら、父の四十九日。
もちろんのごとく、連絡はなし。
しかし、彼は、死んでまで周りをひっかきまわしておいて、
そのわりに、あっさりきれいに成仏してる気がする。
それはそれで、やはりこの上なく彼らしい…(苦笑)
気性のわりに、
他人と争うことは苦手な人だったようだから。
墓の中でまで、いがまれたり、しがらみに悩まされるくらいなら、
案外、無縁仏だとしても、そのほうがいいと言うのかもしれないなあ…。
祖母は悲しむにしても。
私は…、なんだか、そう思うようになりました。この49日間を過ごして。
父の日。
私が、正月と並んで、大嫌いな日。
この日は、
その年に母がつきあっている男性に、
私からと偽った「おとうさん、ありがとう」のプレゼントを、母が勝手に渡し続けた日。
何度も何度も嫌だと言ったけれど、
「そんなにあの人が嫌いなの?」
「そういう意味じゃなくて。勝手に、私からだと言って渡さないでほしいの」
「じゃあ、おまえがあげるの?」
「なんで、あげなきゃならないの。お父さんじゃないのに」
「本当におまえは意地悪な子だね」
を、繰り返し。
結局は、私が根負けした。
父の日は、遊びに出掛ける日。外泊。
帰宅すると、「プレゼントをありがとう」と嬉しそうに言う男性がいて、
人を騙す罪悪感とか、母への思いと、こんな嬉しそうにしてもらえるのを知っても渡してあげられない自分はなんと心が狭く意地悪なんだろう…
吐き気とめまいでおかしくなった。
上様とおつきあいするようになって。
上様のご実家には、ふだん離れてなかなか顔も出せないので。イベントごとのたびに、なにか贈り物をするよう、上様にすすめてきました。
「母の日」「父の日」もしかり。
今年も、それぞれに贈りました。
その品物を選んでいて、ふと、
気が向いたのは、なぜなんでしょうね。
いまの私の母の旦那さんに、ビアグラスをあげようと思えました。「義父」に。
自分ではやはりまだ渡せなかったので、上様から。「我々からです」ということで。
喜んでくれました。
ここまで、23年かかりました。
もちろんのごとく、連絡はなし。
しかし、彼は、死んでまで周りをひっかきまわしておいて、
そのわりに、あっさりきれいに成仏してる気がする。
それはそれで、やはりこの上なく彼らしい…(苦笑)
気性のわりに、
他人と争うことは苦手な人だったようだから。
墓の中でまで、いがまれたり、しがらみに悩まされるくらいなら、
案外、無縁仏だとしても、そのほうがいいと言うのかもしれないなあ…。
祖母は悲しむにしても。
私は…、なんだか、そう思うようになりました。この49日間を過ごして。
父の日。
私が、正月と並んで、大嫌いな日。
この日は、
その年に母がつきあっている男性に、
私からと偽った「おとうさん、ありがとう」のプレゼントを、母が勝手に渡し続けた日。
何度も何度も嫌だと言ったけれど、
「そんなにあの人が嫌いなの?」
「そういう意味じゃなくて。勝手に、私からだと言って渡さないでほしいの」
「じゃあ、おまえがあげるの?」
「なんで、あげなきゃならないの。お父さんじゃないのに」
「本当におまえは意地悪な子だね」
を、繰り返し。
結局は、私が根負けした。
父の日は、遊びに出掛ける日。外泊。
帰宅すると、「プレゼントをありがとう」と嬉しそうに言う男性がいて、
人を騙す罪悪感とか、母への思いと、こんな嬉しそうにしてもらえるのを知っても渡してあげられない自分はなんと心が狭く意地悪なんだろう…
吐き気とめまいでおかしくなった。
上様とおつきあいするようになって。
上様のご実家には、ふだん離れてなかなか顔も出せないので。イベントごとのたびに、なにか贈り物をするよう、上様にすすめてきました。
「母の日」「父の日」もしかり。
今年も、それぞれに贈りました。
その品物を選んでいて、ふと、
気が向いたのは、なぜなんでしょうね。
いまの私の母の旦那さんに、ビアグラスをあげようと思えました。「義父」に。
自分ではやはりまだ渡せなかったので、上様から。「我々からです」ということで。
喜んでくれました。
ここまで、23年かかりました。
祖母に会いに行った
仕事上がりに、祖母に会いに行きました。
父方の実家です。
祖父にお線香をあげることと、気を落としているだろう祖母の様子を見に行くつもりで。
あがってみると、父の名の書かれた位牌と骨壷がありました。
父が一緒に暮らしたご家族とは、籍を同じくしていなかったなど、いくつか理由があったようですが。
…帰ってきていたんだ…。
予想していなかったので、驚きました。
こんな形で会うことになるなんてね。父さん。…無沙汰をしました。どんな人生でしたか?
此処は、祖母のマンションですが。ふだんは、隣家の叔母や叔父がつねに出入りしています。
それが、珍しく、今日は祖母ひとりだけで。
祖母は、父について、いつもと違う話し方をしました。
生まれたときから体が悪く。子供の頃から、病院をいくつも回る日々。幾度となく入院をし、何度となく「長くはない」と言われていた子…だとか。
なかなか学校に行けず伏せる間、「できないかもしれないけど、やってみる」と、ひとりで勉強をする子だったとか。
ファッションデザインに興味が深く、そっちの事業を起こしたこともあるとか。<これは初耳
祖母は言いました。
体の弱い人間は、やりたいと思えることも、やれることも、限られているから。
彼のやりたいこと、やれることが、自分たちのお金でさせてやれるならば、協力してやりたいと、祖父と話して育ててきたこと。
それは、甘やかしたと言われるかも知れないけれど。
悔いなく生かしてやりたかった。
体の弱い子だから、将来のことを考えて、土地を切り分けて半分は人に貸して収入を得られるよう、取り計らってきたり。
…なんとなく。
次男で。病気など知らない健康優良児だった叔父が、父を悪く言う素地が一部見えてきた気もしました…。
叔父の家にも顔を出し、「お手数をおかけいたしました」と、頭をさげてきました。
叔父は、…悪さを見つかったときの子供のような顔で振り向いた…ように見えました。
なんともバツの悪い顔で、「ああ…」と言い。私の手土産を受け取って。
私がすぐに帰るから、どうぞお気遣いなく…と言うと、たしかにホッとした顔をしました。
見送ることなく、居間に座ったまま、私を帰しました。
私には、立ち入れない歴史があるのを、感じました。
祖父の眠る墓は、実家からほど近い場所にあります。
宗派を問わず受け入れるお寺であり、お墓のなかは、まだ祖父のみなので、空きは充分。
けれど、
祖母は「私には、よく判らないんですけどね」
「私は、自分のこともままならない年寄りですから。(叔父に)任せるしかないと、もう承知しているんですけど。なんだか、難しいなにだかがあるんですって」
叔父の知り合いの寺だかがあって、そちらに…(どうやら無縁仏として)…「お願いできるんじゃないかなあって、あの人(叔父)は言うんですよ。私では、判らないことみたいなんですけどね」
…私は、育ての親でもあるこの祖母とよく似た気質です。
わかってしまう。
世話をかけている叔父が言うなら、何を声高に反抗などしない。
従うけれど。…穏やかな笑顔の下で、彼女は、とても激しく憤っていました。
でも、もう90歳を越えて。社会の速さについてなど行けず。骨壷を抱えてお寺さんに行くことすら、ひとりでなんて出来ません。彼女には。
守ってやりたくても守ることの出来ない、自分の力不足にこそ、激しく深く…憤っていました。
予想外なほど元気な祖母。
彼女は、きっと…出来損ないの烙印とともに生きた長男を守るためだけに、いま生きている。
彼女が居なければ、父は祖父と同じ墓にすら入れない。
「家族葬」
父の葬式は、「いまはそれが主流なのよ」という言葉で、家族だけでひっそりと行われたそうです。
祖母は、何度もくりかえしました。
「いまは、それが主流だそうだから。任せるしか、私はできないですからね。もう、この歳で参列もできやしませんから。任せるしか」
「親戚にも知らせず。家族だけなのよ」
…そう言って、私を見つめました。
葬式に呼ばれなかった、娘の私。葬式に行けないまま過ごすしかなかった、祖母。
彼女は、怒るほどに静かで穏やかになる。
私は、自分の顔から、微笑以外の表情が消えているのを感じました。
葬式には、つまり、父を本当に悼んだ人は出なかったのだろうか。
それは、とても悲しいことで。
けれど、彼らしい結末のようでもある。
叔父を憎むつもりはなく。
父を許しきるほどの根拠も度量も、私には、なく。
帰りの道すがら、とても怖い硬い顔で、私は、必要以上に良い姿勢で早足に歩いていました。
帰宅して。
それでも、形のわからない衝動が消えなくて。このままでは、明日の仕事で「嘘の笑顔」と「心無い自分」で、大事な生徒たちに触れなければならない。
まずいな。
もう一度、家を出ました。
コーヒーを飲みに出る途中で、携帯に手が伸びて、友達に電話をかけ…きらぬうちに、切った。
でも、着信はしていたようで。
土曜の忙しいだろう夕方なのに、彼女は、すぐさま電話をくれて。
話を、ただ聞いてくれる存在が、求める「その時」居てくれることが、こんなに助けとなるとはなあ。
ありがとう。
父方の実家です。
祖父にお線香をあげることと、気を落としているだろう祖母の様子を見に行くつもりで。
あがってみると、父の名の書かれた位牌と骨壷がありました。
父が一緒に暮らしたご家族とは、籍を同じくしていなかったなど、いくつか理由があったようですが。
…帰ってきていたんだ…。
予想していなかったので、驚きました。
こんな形で会うことになるなんてね。父さん。…無沙汰をしました。どんな人生でしたか?
此処は、祖母のマンションですが。ふだんは、隣家の叔母や叔父がつねに出入りしています。
それが、珍しく、今日は祖母ひとりだけで。
祖母は、父について、いつもと違う話し方をしました。
生まれたときから体が悪く。子供の頃から、病院をいくつも回る日々。幾度となく入院をし、何度となく「長くはない」と言われていた子…だとか。
なかなか学校に行けず伏せる間、「できないかもしれないけど、やってみる」と、ひとりで勉強をする子だったとか。
ファッションデザインに興味が深く、そっちの事業を起こしたこともあるとか。<これは初耳
祖母は言いました。
体の弱い人間は、やりたいと思えることも、やれることも、限られているから。
彼のやりたいこと、やれることが、自分たちのお金でさせてやれるならば、協力してやりたいと、祖父と話して育ててきたこと。
それは、甘やかしたと言われるかも知れないけれど。
悔いなく生かしてやりたかった。
体の弱い子だから、将来のことを考えて、土地を切り分けて半分は人に貸して収入を得られるよう、取り計らってきたり。
…なんとなく。
次男で。病気など知らない健康優良児だった叔父が、父を悪く言う素地が一部見えてきた気もしました…。
叔父の家にも顔を出し、「お手数をおかけいたしました」と、頭をさげてきました。
叔父は、…悪さを見つかったときの子供のような顔で振り向いた…ように見えました。
なんともバツの悪い顔で、「ああ…」と言い。私の手土産を受け取って。
私がすぐに帰るから、どうぞお気遣いなく…と言うと、たしかにホッとした顔をしました。
見送ることなく、居間に座ったまま、私を帰しました。
私には、立ち入れない歴史があるのを、感じました。
祖父の眠る墓は、実家からほど近い場所にあります。
宗派を問わず受け入れるお寺であり、お墓のなかは、まだ祖父のみなので、空きは充分。
けれど、
祖母は「私には、よく判らないんですけどね」
「私は、自分のこともままならない年寄りですから。(叔父に)任せるしかないと、もう承知しているんですけど。なんだか、難しいなにだかがあるんですって」
叔父の知り合いの寺だかがあって、そちらに…(どうやら無縁仏として)…「お願いできるんじゃないかなあって、あの人(叔父)は言うんですよ。私では、判らないことみたいなんですけどね」
…私は、育ての親でもあるこの祖母とよく似た気質です。
わかってしまう。
世話をかけている叔父が言うなら、何を声高に反抗などしない。
従うけれど。…穏やかな笑顔の下で、彼女は、とても激しく憤っていました。
でも、もう90歳を越えて。社会の速さについてなど行けず。骨壷を抱えてお寺さんに行くことすら、ひとりでなんて出来ません。彼女には。
守ってやりたくても守ることの出来ない、自分の力不足にこそ、激しく深く…憤っていました。
予想外なほど元気な祖母。
彼女は、きっと…出来損ないの烙印とともに生きた長男を守るためだけに、いま生きている。
彼女が居なければ、父は祖父と同じ墓にすら入れない。
「家族葬」
父の葬式は、「いまはそれが主流なのよ」という言葉で、家族だけでひっそりと行われたそうです。
祖母は、何度もくりかえしました。
「いまは、それが主流だそうだから。任せるしか、私はできないですからね。もう、この歳で参列もできやしませんから。任せるしか」
「親戚にも知らせず。家族だけなのよ」
…そう言って、私を見つめました。
葬式に呼ばれなかった、娘の私。葬式に行けないまま過ごすしかなかった、祖母。
彼女は、怒るほどに静かで穏やかになる。
私は、自分の顔から、微笑以外の表情が消えているのを感じました。
葬式には、つまり、父を本当に悼んだ人は出なかったのだろうか。
それは、とても悲しいことで。
けれど、彼らしい結末のようでもある。
叔父を憎むつもりはなく。
父を許しきるほどの根拠も度量も、私には、なく。
帰りの道すがら、とても怖い硬い顔で、私は、必要以上に良い姿勢で早足に歩いていました。
帰宅して。
それでも、形のわからない衝動が消えなくて。このままでは、明日の仕事で「嘘の笑顔」と「心無い自分」で、大事な生徒たちに触れなければならない。
まずいな。
もう一度、家を出ました。
コーヒーを飲みに出る途中で、携帯に手が伸びて、友達に電話をかけ…きらぬうちに、切った。
でも、着信はしていたようで。
土曜の忙しいだろう夕方なのに、彼女は、すぐさま電話をくれて。
話を、ただ聞いてくれる存在が、求める「その時」居てくれることが、こんなに助けとなるとはなあ。
ありがとう。
「無い」ことに甘んじる
父親が死んで。
けれど、私の世界は何も変わらない。
変わらないことが、なによりもつらい。
私は、父親というものをを持っていなかったんだと、再確認させられて、落ち込んだ。
「持っている人たちが、羨ましい」
「持って。それから、自分の意志でもち続けるなり、切り捨てるなりしたかったのに、持ってない自分にはそれもできない」
昨日、此処にそう吐いたことで、落ち着いたのか。
なんて甘えたことを言っていたのかと、今日、あきれ返った。
持っていただろう。
書いていたじゃないか。自分で、会いに行くべきだったと。
会える可能性のあるその人間は、おまえの「父」で。
母親との「生まれながらの家族」が揃う家庭は、望めなくても。
父親と会うこと、話すこと、…繋がりを「持つ」ことは、できたはず。
けれど、それには困難を伴い、トラウマに向き合わねばならず。そのくせ、甘みも旨みも、見当たらなかったから。
しなかったんだろう。
おまえは、自分で「持たない」ことを選んだんだ。
そうでしょう?
「持たない」ことは、つらくもあったけれど、「取り戻す」ための苦難にぶつからずすむという点では、たしかに楽だった。
それに、偉そうな口を叩いた私は、「持ち続ける」人間の苦労を、知らないのだった。
さして苦もなく円満で愛の溢れる家に恵まれる人間が居るらしいのも、知ってはいるにしても。
家族で頑張って、努力をして、苦労して、…家庭を営んでいる人たち。「持っている」ことを選択したがつらさを、私は、本当には知らないのだった。
自分ばかりがつらいよう考えていた自分は、あまりに自己中心な子供だと、恥ずかしく思う。
やはり私は、「文字にする」ことが、もっとも良いなあ。
ひとつひとつ、自分で考えて、決めて、納得して前に進める。
言葉にでき、思考できるうちは、大丈夫。
なぜなら、思考を止めない限り、打つ手も可能性も、まだまだ思いつけるから。
けれど、私の世界は何も変わらない。
変わらないことが、なによりもつらい。
私は、父親というものをを持っていなかったんだと、再確認させられて、落ち込んだ。
「持っている人たちが、羨ましい」
「持って。それから、自分の意志でもち続けるなり、切り捨てるなりしたかったのに、持ってない自分にはそれもできない」
昨日、此処にそう吐いたことで、落ち着いたのか。
なんて甘えたことを言っていたのかと、今日、あきれ返った。
持っていただろう。
書いていたじゃないか。自分で、会いに行くべきだったと。
会える可能性のあるその人間は、おまえの「父」で。
母親との「生まれながらの家族」が揃う家庭は、望めなくても。
父親と会うこと、話すこと、…繋がりを「持つ」ことは、できたはず。
けれど、それには困難を伴い、トラウマに向き合わねばならず。そのくせ、甘みも旨みも、見当たらなかったから。
しなかったんだろう。
おまえは、自分で「持たない」ことを選んだんだ。
そうでしょう?
「持たない」ことは、つらくもあったけれど、「取り戻す」ための苦難にぶつからずすむという点では、たしかに楽だった。
それに、偉そうな口を叩いた私は、「持ち続ける」人間の苦労を、知らないのだった。
さして苦もなく円満で愛の溢れる家に恵まれる人間が居るらしいのも、知ってはいるにしても。
家族で頑張って、努力をして、苦労して、…家庭を営んでいる人たち。「持っている」ことを選択したがつらさを、私は、本当には知らないのだった。
自分ばかりがつらいよう考えていた自分は、あまりに自己中心な子供だと、恥ずかしく思う。
やはり私は、「文字にする」ことが、もっとも良いなあ。
ひとつひとつ、自分で考えて、決めて、納得して前に進める。
言葉にでき、思考できるうちは、大丈夫。
なぜなら、思考を止めない限り、打つ手も可能性も、まだまだ思いつけるから。





